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Little Joe(2) [テックスメックス]

 
 今回はLittle Joeの2回目。

 1960年代の彼の動向について、文献や情報を通して展望してみたいと思います。
 
 後年、Little JoeはManuel Penaに、1958年の初レコーディングについて「当時、実際にはBeto Villaや、Balde Gonzalesの曲を演奏していたが、レコーディングでは、オリジナルなものを作ろう、と決心した」と語っている。この発言から察すると、当時、Little Joeのバンド内における発言力はかなりのものであったと思われる。
 Little JoeはTop 40への思いがかなり強く、その意味でもSunny Ozunaをライバル視していたようだ。しかし結局Top 40への思いはかなわず、また、David Coronadoはテキサスを去っていった。
 Little Joeがリーダーとなり、Top40への思いを貫けなかったLatinairesは伝統的なMusica Tejanaに回帰していくが、それはTejano Marketに衝撃を与る機会ともなった。60年代初期、有名なオルケスタはIsidro Lopezの楽団で、Little Joeはまだ地元でも無名に近かったといってよい。しかし1964年、Dallasのレーベル、Zarape Recordsからアルバム"Por un amor"を発表、タイトルソングは地元でヒットし、彼らの名前は広く知られるようになった。
 この曲について、Manuel Penaは「この曲はテキサスを越えて演奏するようになったビッグヒットだった、と彼は主張するが、そこには誇張があるかもしれない」と指摘している(Musica Tejana,p.154)。
 しかし、彼がこの頃(1964年頃)西海岸のチカーノコミュニティー(サンフランシスコ周辺)で演奏活動をしていたのが事実なら、この発言はあながち誇張とも言い切れないだろう。
 とにかく、このアルバムが彼らがMusica Tejanaのトップに突き進んでいく出発点となったことは間違いないようだ。
 わたし自身は1960年代のLittle Joeはほとんど聞いていないが、それを承知であえて触れてみると,タイトル曲"Por un amor"は、今回紹介するベストアルバムに収録、さらに弟のJohnny Hernandezも先に紹介したアルバム、"Por Quita Fe"で採録している。

どちらのアルバムも試聴できませんが、一応以下、ご覧ください。

http://206.188.209.228/index.asp?PageAction=VIEWPROD&ProdID=587

http://www.haciendarecords.cc/Merchant2/merchant.mv?Screen=PROD&Store_Code=HROC2000&Product_Code=HAC-7710+C&Category_Code=Johnny+Hernandez

ついで我がブログも念のため。

http://texmexstrikesagain.blog.so-net.ne.jp/2008-01-14

さらに、これは関係ないが、Linda Ronstadt,Estela Nunez, Natalie Maribojocという3人の女性シンガーによる"Por un amor"。

http://jp.youtube.com/watch?v=lB-V95tXdsQ
http://jp.youtube.com/watch?v=IDCVhkCD63c
http://jp.youtube.com/watch?v=gjH10PM0wA8

 Little Joeによる"Por un Amor"はスワンプポップ的な3連ロッカバラード、再録では、たぶんいずれもJohnny Hernandezがリードをとっているものと思われます。
 

 さて、1960年代のLatinairesの基本編成は、アルト、テナー、トランペットの3管に、ベース、ドラムス、そしてLittle Joeのギター、彼の弟のリード&セカンドボイス、という7人編成という布陣(Manuel Penaによる。この記述については直接音源にあたって厳密に検証する必要があるだろう)レパートリーはポルカ-ランチェラが中心で、飾り気なく、洗練されてもいず、人気は出てきたが、技術的にはまだ成熟の域には達していなかった(Musica Tejana,p.154)。
 1965年には、同じZarapeから"Amor Bonito"を発表。勿論名歌手、Lydia Mendozaのレパートリーとして有名な曲。
 Little Joeの演奏はyoutubeで。

http://jp.youtube.com/watch?v=BOXkv81S24E

 さて、60年代の彼を取り巻く状況はどうであったか。

 Manuel Penaの"Musica Tejana"には、San Angelo 出身のトランぺッター、Tony"Ham"Guerrero(後のTortilla Factoryのリーダー)が1964年、西海岸Oaklandで経験したことについて触れている。

 「(西海岸では)テハーノ・ダンス/チカーノ・ダンスの大規模なイベントがあった。Raza(La Raza Unida Party(RUP);組合員のことか? )が周辺の地域から集った。約1000人のテハーノが、着飾り、ダンスし、深酔いした。彼らは毎週土曜日の夜には暴動を起こした。Little Joeはそこで演奏した、そしてLos Gorrionos del Topo Chico, Tony De La Rosa, Ruben Veraも。そのころレギュラーで演奏していた最も偉大なコンフントは、 El Conjunto Bernalだった……, わたしはそこで毎週末演奏をしていた、ホストバンドとして。Rudy and the Reno Bopsもそこで演奏していたかもしれない……,わたしが離脱した唯一のバンドはSunny and The Sunlinersだった。もちろんLittle Joeのバンドとも共演した。」(Musica Tejana,p.150)。

 彼の発言から、1960年代前半には、TexasのConjuntoやMusica Tejanaの音楽家は、ベテランから若手まで、テキサスのみならずカリフォルニアにもネットワークを持ち、西海岸のチカーノ・コミュニティーのサーキットを回っていた、ということが容易に理解できる。

 60年代のtejanoの音楽家たちのコミュニケーションについては、以下のサイト参照。興味深い写真が掲載されています。このページの中程にある白黒写真。1965と記してある。

 http://www.linda.escobar.com/mis-amigos/default.html
 
 これはLinda Escobarのサイトにある写真の一枚。父Eligio Escobarほか、Tony De La Rosa やIsidor Lopezなどのミュージシャン、Joey Lopez,Freddie Martinezなどの音楽制作者たちにまじって、Little Joe、Johnny Hernandezの顔も見える。
 1965年の時点で、1970年代の動向を示唆しているような記念写真で、Joey LopezはJoey (メキシコではDinna)を、freddie MartinezはもちろんFreddieを、1970年代に立ち上げている。
 特にFreddie Martinez, Tony De La Rosa, それにLittle Joe , Johnny Hernandezという、Freddieの立役者たちがこの写真の時点(1965年)でほぼ揃っているのも興味深い。

 また、西海岸のチカーノ・コミュニティーに注目すると、テキサス各地の演奏家が一同に集ることもあった。それにより、ネットワークがより強固になった可能性も考えられる(Conjuntoのネットワークについては、オノリオ氏(from Conjunto J)よりご教示を賜った)。
 
 それと関連して、確証はもてないが、当時、Tony De La RosaのConjuntoにはSteve Jordanがすでに在籍していた可能性がある。そして、こうしたネットワークにより、若いSteve JordanやLittle Joeたちが当時の西海岸で、さまざまな音楽動向や社会の変化に刺激を受けていたことは間違いないだろう。とくに西海岸で展開された、黒人政治運動に触発されて展開されたChicano Powerとよばれる運動やLatin Rockの動向に。

 1960年代のLittle Joeの音楽活動については、前回に紹介したサユールイトシロさんのブログでアルバム紹介が積極的に行われています。LIttle Joeが当時のメインストリームをいかに受容していったかが、かいま見られます。

 以上、おおまかにまとめると、60年代のLittle JoeはTejanoのアーティストとしてそれなりの地位を築くことにほぼ成功し、チカーノ・サーキット(正確にはテハーノ・サーキット)を通してベテランのアーティストとの交流も深まっていった。一方、アルバム発表にあたっては積極的に当時の米国のメインストリーム(特に黒人音楽)からの影響を明確に打ち出した。これらの動向を一本化していったのが、70年代から80年代、おもにFreddieを舞台とする一連の活動になる、ということになるのでしょう。

 今回は60年代の彼についてのラフなスケッチを試みました。次回はどうなるか?

 
 












 



 
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Little Joe [テックスメックス]

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 今回取り上げるのはLittle Joe。
 彼は2008年、第50回グラミー賞のフィールド12、カテゴリー63、Best Tejano Albumを受賞しました(今回はRuben Ramos, Ram Herrera 等も候補に上がりました)。タイトルは"Before The Next Teardrop Falls"。多分Freddy Fender へのトリビュートアルバムでしょう。

 http://www.grammy.com/GRAMMY_Awards/50th_show/list.aspx

 また以前にもご紹介しましたが、ウェブサイト、サユールイトシロエキスプレスがLittle Joeや、ほかのMusica Tejana, Orquestaのアルバムについても精力的に紹介を行っています。興味ある方は、ぜひご参照ください。

 http://sayur-itoshiro.no-blog.jp/nikki/pickup_cd/index.html

 さて本題。アルバムは"Antologia King of The Brown Sound"(Freddie1913)。Freddie時代の2枚組ベスト盤です。

 little JoeはやはりMusica Tejanaの大物であり、やはり今回このCDを紹介するにあたっても、一筋縄ではいきませんでした。

 まずはプロフィールから。Manuel Pena ,"Musica Tejana" と以下のサイトの受け売りです。

 http://www.midomi.co.jp/index.php?action=main.artist&name=LittleJoe&from=artist_bio
 http://www.midomi.co.jp/index.php?action=main.artist&name=LittleJoeylaFamilia&from=artist_bio
 http://www.peermusic.com/littlejoe/littlejoe.cfm?includepage=littlejoebio.cfm
 
 Little Joe は本名Jose Maria Deleon Hernandez。父はSalvador "La Cotorra" Hernandez, 母はAmelia Deleon Hernandez。Texas州中部にあるTemple(Austinから北、Dallas方向に向かう途中にある都市)に、1940年10月17日、13人兄弟の7番目として生まれた。
 彼が生まれてすぐに、家族は大洪水にあい、生まれて2週間後にはTempleの市街地を出ていかなければならなかった。彼らが移り住んだのは黒人居住地区だった。「わたしの最初の思い出は、子供のころのことで、四六時中近所に黒人が、そして黒人の子供がいたんだ」(Manuel Pena "Musica Tejana"より)。
 彼は幼い頃、ふだんはラジオから聞こえてくるMusica MejicanaやCountry and Westernに接していたが、彼ら黒人の隣人たちのおかげでBluesやJazzに親しんだ。
 彼は子供の頃から綿摘みの仕事をし、1954年、季節労働者である父がマリファナの不法所持で捕まり、1955年、彼が15歳のとき、28ヶ月間拘置所に入れられた。「彼が出所したとき、わたしは17歳で、家族の命令を受け入れた。なぜなら、他の兄弟は兵役に服していたからだ」
 というわけで学校も行かず、綿摘みに精を出していたが、幸い、綿摘みからも解放される時がやってきた。
 15歳の時、彼は母からギターをプレゼントされ、音楽の演奏に興味を持つようになっていった。学校の授業はとっくに放棄していたが、1957年17歳のとき、David Coronadoの新しいバンド、David Coronado and the Latinairesに参加しする幸運を得た。バンドメンバーは、David Coronado(alto sax), Little Joe(guitar), Tony Matamoros(tenor sax), Jacinto Moreno(trap drums)という編成。すぐに週末のダンス用バンドとして雇われ、その後、同じ年の末にはTexas州南部の都市、Victoria(Corpus ChristiからHoustonに向かってやや北東にある都市)におけるIsidro Lopezのオープニングアクトを努めるまでになった。このときの思い出をLittle Joeはこう語っている「当時はLittle Joe and the Latinairesではなくて、David Coronado and the Latinairesだったんだ。ステージに立っているのはDavid Coronadoで、われわれは彼を引き立てるためにフロアで演奏していたんだ」(前掲書)
翌1958年にはCorpus Christiのレーベル、Toreroから初めてのレコード、シングル盤、"Safari part 1,part2"をリリースした。ロックの曲で、Manuel Penaによれば、おそらく記念すべきTejano Groupによる初めてのロックンロールの録音であろう、とのこと。

 1950年代後半、Little Joeが登場したころの音楽状況はどうであったでしょうか。
 1955年にはMando ことAlmand Almendarezが、Rioから78回転盤で、Chuck Berry, Clifton Chenierのカバー、"Maybellen"/"Boppin' The Rock"をリリース。1959年には前回でも触れたとおり、Sunny Ozunaが"Just A Moment"をリリース。初レコーディングだった。Sunny Ozunaと、翌60年にはこの曲を取り上げ、録音していたDoug Sahmは同じ1941年生まれ、Little Joeは1940年生まれで、ほぼ同世代でした。
 それぞれの音楽背景の違いにより温度差はあるけど、三者とも、Chuck Berry ,Fats DominoからElvis Presleyに至る、当時米国に渦巻いていたポピュラー音楽の巨大なうねりに翻弄されたことは確実であり、そして三者とも自分たちの音楽を作っていこうという姿勢においても同じ意識を共有していたかしれません。Sunny OzunaとLittle Joeはライバルであり、またSunny と同じ歳のDoug Sahmは積極的に彼の曲をカバーしたし、後年Little JoeはDoug Sahmが亡くなったあと、彼のメモリアルコンサートに頻繁に参加している、ということからも、1950年代末におけるまだ若かった三者の行動には興味深いものがあります。

以下次回


 
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